日本の平和安全法制と日台の未来
櫻井よしこ 日本國家基本問題研究所理事長 本日はお招きいただきありがとうございます。主催者の羅福全理事長はじめ、台湾安全保障協会の皆さまに心より感謝申し上げます。台湾をわが国日本の重要なパートナーと考える私にとって、今日、このような基調講演をする機会をいただいたことを、大変光栄に思います。 私は東京でシンクタンク「国家基本問題研究所」(国基研)を主宰しています。創設から間もない2008年2月に、私たち一行は台北を訪問しました。李登輝総統閣下をはじめ皆さまにお目にかかり、日台双方の未来を念頭に有意義な意見交換をいたしました。国基研が最初の訪問先に台湾を選んだ理由は、日本にとって台湾がどれ程重要かという国家戦略上の判断に加え、日本と台湾の交流が、恐らく世界で最もあたたかい心の通い合いの上に築かれているからであります。 私は2011年3月18日にも「世界台湾人大会」にお招きいただき、この地を訪れました。3月11日には1,000年に一度といわれるマグニチュード9の大地震と津波、続いて原発事故が東日本を襲いました。大混乱の中、私は震災発生から一週間後に、当初の予定を短縮して台北を訪れました。そのときに目にしたのは、街角や店舗で、或いはテレビで、多くの台湾の方々が日本への救援を呼びかける姿でした。日本人としてどれ程有難く思ったことでしょう。どれ程勇気づけられたことでしょう。 2300万人の台湾の皆さまの心のこもった援助を、今でも日本人は忘れていません。当時を思いますと、台湾の方々への深い感謝の想いで一杯になります。改めて一人の日本人として心よりお礼を申し上げます。 現在、日本も台湾も、歴史の大変化に直面しています。対外関係において軍事介入を回避し内向きになりがちな米国と、力を背景に膨張し続ける中国、2大国の変化は日本と台湾双方に測りしれない大きな影響を与えています。それだけに国基研は、台頭した中国の経済的、軍事的膨張と共に、米国が中国にどのように向き合うのかを、とりわけ注目してきました。 国基研は、戦後の日本が安全保障を米国に依存し自らの軍事力を憲法上、法律上、そして物理的に厳しく制限してきたことに疑問を持っています。私たちのシンクタンクは、日本を普通の民主主義の国として立て直すこと、そのために憲法改正を実現することを大きな目標として出発しました。その問題意識は必然的に、米国との関係をどのように調整するのか、そのうえで中国とどのような関係を結ぶのかという課題につながります。 とりわけ、わが国とは基本的に異なる価値観を掲げる中国の意図は注意深く精査しなければなりません。その意味で国基研が最初のプロジェクトとして中国研究を取り上げたのは自然なことでした。ちなみに国基研の研究は「対中国戦略研究報告書」としてまとめられ、2012年2月に出版されました。 同研究を通して改めて実感したのは、中国は戦術において柔軟である一方、長期戦略においてはぶれることがなく、設定した戦略目標は長い時間をかけても達成するということです。1949年の建国から100年目の2049年までに中華人民共和国が達成しようとしているのは、米国を凌駕する覇権国としての地位の確立であるという研究が、注目を集め始めました。民主主義国では、時の政権と民意によって国家の長期目標でさえ変更されることが珍しくありません。100年に及ぶ長期戦略などは中々考えられません。しかし、中国共産党一党支配体制の下では事情は全く異なることを、民主主義国は肝に銘じなければならないと思います。 中国共産党の考え方を示すひとつのエピソードがあります。1995年8月、中国が核実験を行い、日本政府は抗議しました。日本外務省に呼ばれた駐日大使、徐敦信氏はこう反論したのです。 「中国は列強の侵略を受けたが、その中で、一番大きな被害を与えたのは日本だ。中国人民は苦しい歴史の中から、自分の国が弱ければいじめられるとの教訓を得た」 毛沢東が中華人民共和国政府を樹立して以来、大飢餓を引き起こした大躍進の時代であろうと、文化大革命の時代であろうと、中国共産党が一貫して仮借のない軍事増強をはかってきたのは、「富国強兵」そのものが目的であるということです。軍事力が強まればその強さは外交力に反映され、強力な外交力は国を富ませるという思考回路を知りつくした国が中国です。対照的に、軽武装で経済大国であり続けようとすること以外に国家目標のない国が、つい先頃までの戦後の日本です。 中国は南シナ海で7つの島を埋め立てました。2015年5月、米国防総省が映像を公開し、世界に衝撃を与えました。国際社会の反発に直面した中国は6月30日、南シナ海の埋め立ては終わったと発表し、埋め立て工事もやめたはずでした。 しかし、米国の戦略国際問題研究所(CSIS)が運営するサイト「アジア海洋透明性イニシアチブ」は、9月8日、中国が依然として複数の岩礁で埋め立て活動を続けているとして、映像を公表しました。 米国側の発表に対して中国外務省副報道局長、洪磊氏は事実を認め「南沙の主権は中国にある。合法で筋道が通った完全に正当な措置だ」と反論しました。 南シナ海で埋め立てを加速した時期と重なるようにして、中国はわが国眼前の海、東シナ海においても日中中間線近くで強引なガス田開発を行ってきました。日中両国は2008年、共同開発を目指すと合意しているにも拘らず、2014年以降、中国側はガス掘削のためと称してプラットホームの建築を急ぎ、2015年8月末時点で新たな12基のプラットホームを建設済みです。 それ以前に中国が建設したものと合わせて16基のプラットホームが建てられおり、いずれも軍事転用が可能です。ここにレーダーを設置すれば、中国大陸を起点とする限り不可能だった日本の沖縄、南西諸島、そこに展開する日米両軍の情報収集が可能になります。プラットホームは容易にドローン基地に転用可能で、日本を脅かす事態が考えられます。水中ソナーを据えつければ日米の潜水艦の動きも把握されかねません。 日本政府は抗議を繰り返していますが、中国は、南シナ海の埋め立て同様、東シナ海における開発をやめる気配はありません。米国が抗議しても、日本が抗議しても、東南アジア諸国が抗議しても、中国は目的完遂に向かって突き進みます。後にまた触れますが、中国のこのような独善的かつ侵略的な行動は、世界の警察をやめたオバマ大統領の消極性が引き起こしたものだと言えます。中国の脅威の前で、話し合いの扉を開けておく一方で、どの国も万が一に備えて軍事力の整備にとりかかったのは当然です。 先程私は、日本は軽武装の経済大国に満足して、それ以外の国家目標を持ってこなかったと断じました。このような考え方はしかし、中国が眼前でくり広げる蛮行によって多少変化してきました。自民党安倍政権の下で、日本はようやく、少し変わろうとしています。それが平和安全法制の整備です。 2014年7月1日、安倍晋三首相は集団的自衛権の一部行使を容認する閣議決定をしました。世界の全ての国々が国連によって認められている集団的自衛権を、日本はこれまで自ら封印してきましたが、初めて、制限つきながら、その一部を行使することを閣議で決定したのです。政府の決定は国会で承認されましたが、平和安全法制の制定に対して、日本国内ではこれは日本を戦争に追いやる法律だという反対の声が上がりました。そのようなおどろおどろしい批判はありますが、日本が行使する集団的自衛権は限られた範囲内にとどまり、生まれる変化は僅かだと考えます。 ただ、重要なことは現象的には小さな変化であっても、本質的には大きな変化を生み出すと思われるのが、今回の法制です。これまで基本的に米軍に守って貰うという発想で生きてきた戦後の日本人が、初めて、日本が果たすべき責任を自ら果たそうと積極的に行動し始めることにつながると考えるからです。 それにしても日本国の安全保障体制は非常に制限されています。大東亜戦争での敗北をきっかけにして軍事力を悉く排除する気運が生まれ、軍事行動は憲法9条と自衛隊法によって厳しく制限されています。日本人は大東亜戦争を反省する余り、異常な程、軍事に関するおよそあらゆるものを退けてきました。人々は軍事力を嫌う余り、長年、自衛隊を冷遇しました。普通の国の大学では安全保障研究は極く自然に行われていますが、日本のどの大学にも戦争、戦史、戦略を研究する学部はありません。最高学府といわれる東京大学は、つい最近まで一切の軍事研究を禁止してきました。安全保障についてまともに考え、研究し、対処する知的土台が戦後の日本から消えてしまったと言ってよいでしょう。 そのような状況で、日本の安全保障体制が万全であり得るはずがありません。普通の国は、平時、準平時、有事というふうに、国民の命と国土、領海を守るためにあらゆる準備をします。それが政府の責任です。しかし、国防を観念的にしかとらえられなくなった日本においては、平時と有事の間に存在する幅広く多様な危機に対処する準備は整っておらず、日本の安全保障体制には幾つもの穴があります。それを埋めるのが、安倍政権が実現させた平和安全法制の意義です。 平和安全法制の成立で何が出来るようになるかを語るよりも、それ以前の法制の下で何ができなかったかを語る方が日本国の安全保障体制の実情を理解するのに役立つはずです。日本国の国防体制の足らざるところの第1は、自衛隊が、通常の国の軍隊が軍法に従って行動するのとは対照的に、警察法によって行動しなければならないという点です。通常の軍のネガティブリストによってROEを実践するのではなく、ポジティブリストによって行動しなければなりません。自衛隊の全ての行動は専守防衛の精神に基づいており、如何なる攻撃的な行動も厳しく制限されています。 まず、平時と有事の間、いわゆるグレーゾーンといわれる状況で、新しい法制が出来る前の日本はどのように対処していたのか、実例を紹介します。自衛隊は組織的、計画的攻撃に対してでなければ軍事的に対応することを許されていません。万が一攻撃された場合は、政府が閣議を招集して自衛隊に軍事行動を許す「防衛出動」を命じます。このようなやり方では有事発生の時には到底、間に合わないことは、およそ皆が知っています。多数の中国漁船が尖閣諸島に押し寄せた場合を想定します。もし、漁船員らが武装しておらず、粛々と上陸すれば、自衛隊は手を出せません。海上保安庁が取り締まりますが、海保が中国人の上陸を防げず苦戦するのを眼前にしても、自衛隊は動けません。 自衛隊が対処できるのは、相手が明らかに事前に組織し、計画し、武装して攻めてくるときです。漁船が「たまたま」大挙して押し寄せる事案は、この条件を満たさないとされています。これでは日本防衛は不可能です。そこで今回の平和安全法制は海保に代わって自衛隊の展開を可能にする海上警備行動を迅速に発令できるようにしました。これまで閣僚が官邸に集まって閣議を開き決定していたのを、電話で閣議を行えるようにしたのです。しかし、この程度の改正では不十分なのは当然です。 実際に発生した事例、1997年2月3日の鹿児島県下甑島事件を紹介します。 島に中国人密航者20人が上陸し、住民が警察に通報、青年団や消防団も捜索しましたが、中国人は逃走しました。一夜明けた4日、同島の分屯基地所属の航空自衛隊員30名が捜索に参加しましたが、彼らは一切の武器携行を認められませんでした。自衛隊員は密入国者の捜索というミッションではなく、野外訓練の名目で捜索活動に参加しました。 自衛隊が治安のために出動するには自衛隊法81条に基づく内閣総理大臣の命令または知事の要請が必要です。出動は「治安維持上重大な事態」、「やむを得ない」場合に限定されています。その認定基準を満たすには時間がかかります。そこで自衛隊は苦肉の策で野外訓練という理屈をつけざるを得ませんでした。 密航者が工作員だったり武装していた場合、捜索及び拘束の任務は警察や消防団には危険すぎます。自衛隊員は無事に任務を遂行、全員を拘束しましたが、訓練されているとはいえ、彼らは丸腰で派遣されたのです。彼らの安全をどう守るのか、非武装で行かされて無事にすむのかという疑問が残りました。一方でメディアは法的根拠を欠くとして政府及び自衛隊を批判しました。 […]







