安倍政権の「法の支配」に直面する中国
小金丸貴志* 日本国際フォーラム主任研究員 一 安倍首相と「法の支配」 (一)、 安倍首相の「価値観外交」と「法の支配」 (二)、 安倍首相の「法の支配」の典拠 二 「法の支配」と国際政治 三 「法の支配」に直面する中国 (一)、 安倍政権の対中姿勢 (二)、 東アジアにおける米国の日本支持 (三)、 法制史的に見た中国 四 台湾に対する示唆 (一)、 台湾の法治の歴史 (二)、 安倍首相の対台湾姿勢 五 結論 一 安倍首相と「法の支配」 (一)、 安倍首相の「価値観外交」と「法の支配」 安倍首相の安保・外交に関する発言をフォローすると、「法の支配」という用語を多用している点が他の総理大臣とは際立っていることに気付かされる。この「法の支配」という語は英米法の国内法的な概念rule of lawの訳語であり、日本の戦後の憲法学では司法権優越を指向する用語として使われることが多く、実際の行政では必ずしも一般的な用語ではない。日本は大陸法に属する法体系の国家であり、行政実務がいわゆる法治一般を指すために最も多用してきた言葉は、ドイツ法のRechtsstaatの訳語である「法治国」、あるいは日本的な用例である「法治主義」である。「法の支配」という語が最も普通に用いられる分野は国際法、あるいは英米法の訳語としてであろう。安倍首相は法学部出身ではあるものの、格別に法学を専攻した経歴はないようである。だが、「法の支配」という用語にこだわりを持ち、その用例にも一貫性があることから、このことから安倍首相は日本の伝統的な公法学よりも、国際法又は英米法的な法的理解を教養の背景としていることが推測できる。 実際、国会会議録検索システム[1]を用いて戦後の国会における「内閣総理大臣」による「法の支配」の語を用いた答弁回数を検索すると、「法治国」、「法治国家」の用例は141回、「法治主義」は6回であるが、安倍首相はこのどちらも答弁で使用していない。一方、「法の支配」を用いた答弁例は僅か32回であるが、うち21回が安倍首相によるものである。しかも他の首相の答弁は内政に関連したものであるのに対して、安倍首相の用例は多くが安保・外交関連であることも、上述の推測を裏付けている(付表1参照)。 安倍首相は今年2月22日、米CSISで「日本は戻ってきた(Japan is back)」と題する講演を行った。これは第3次アーミテージ・ナイ報告書に答える形の講演であるが、この中でも「日本はルール(規範)のプロモーターでなくてはならない」、「我々が共有する規範と価値のプロモートに責任を負う」、「日米は共同で法の支配、民主、安全保障を世界や地域にもたらす」[2]等、規範的問題への言及が多く見られることは注目に値しよう。 また、国会以外での今年の重要発言においても、安倍首相は「法の支配」の語を繰り返し用いている(付表2参照)。その多くは、(一)日米同盟を堅持すること、(二)「法の支配」や民主という価値を共有する諸国と連繋を深めること、(三)中国の歴史問題についての対日批判への反論を意図するものである。これは安倍首相の唱導している「価値観外交」の表れとも言えるが、安保・外交政策において、これほど規範的な理念を強調する首相は過去になかったと言っても過言ではないであろう。 (二)、 安倍首相の「法の支配」の典拠 安倍首相の多用するこの「法の支配」の用例を見て行くと、米国と日本にそれぞれソースがあることが推測できる。前者は、2000年から2012年まで三次にわたり出版されたアーミテージ・ナイ報告書に代表される日米同盟の推進者であり[3]、後者は安倍首相のブレーンと目される外務省官僚である。上述のように「法の支配」の語は元来は英米法の国内的な概念であり[4]、それが国際社会の秩序を示す用語として使われるようになったものであるが、近年では日米同盟関係の文書には「基本的な価値」が「基本的人権、民主主義、法の支配」[5]、「日米両国が共有する民主主義、法の支配、人権の尊重、資本主義経済といった基本的な価値」[6]等が言わば決まり文句のように見られるようになっている[7]。 一方、国内では安倍首相周辺の外務省出身のブレーンに「法の支配」の用例を多く見出すことができる。外務省関連の人事については、昨年から今年にかけて、安倍首相が介入した例が続けて報道されており、まず2012年12月、第1次安倍内閣時代の谷内正太郎次官(元条約局長)が内閣官房参与に就任、そして兼原信克国際法局長が内閣官房副長官補(次官相当)に抜擢されたが、これは安倍首相が河相周夫外務次官の強い反対を押し切った人事と評された[8]。河相次官は2013年6月に在任10か月弱で更迭され辞任、後任には安倍首相の腹心と評された斎木昭隆審議官が就任した。同月には北朝鮮を巡り安倍首相と対立していた田中均元外務審議官を自身のフェイスブックで「外交を語る資格がない」と批判、そして8月には小松一郎駐仏大使(元国際法局長)の内閣法制局長官就任決定が報じられ、集団的自衛権に関する政府の憲法解釈を変更するための布石であるとして「強烈な対中牽制人事」と評され[9]、多くのメディアや元同局長官等の法制局関係者が強い反発を示した。同局長官は従来は四省(法務・財務・総務・経産)出身者に限られており、また小松大使には法制局の勤務経験もなかった。登用の理由について菅義偉官房長官は、「戦後68年の中でこれだけ国際的な知識を必要とする時代はかつてないのではないかと考え」たため、としている[10]。兼原・小松両氏の著書の内容は安倍首相の著書と符合する点も多く、これらの安倍首相に登用された外務省出身者が安倍首相の「法の支配」理解や関連する世界観、政策に影響を与えている可能性が大きいと思われる。以下に両氏の著書に見られる所信の特徴を見てみよう。 麻生内閣時代の「自由と繁栄の弧」は谷内正太郎外務次官が案出し[11]、実際に書いたのは兼原副長官補が書いたものとされ[12]、「価値観外交」の理論的内容の取りまとめも手がけたとされている。兼原副長官補の著書[13]によると、「価値観」とは「群れで生きる人間が生存すを図る手段」であり、「優れた価値観、倫理を持っている人間集団は、生存能力が高い」、「政治力に直結する」ものである[14]。そして「社会あるところに法あり」との確信に基づき、「東洋風に言えば、世俗の権力を超えた『天』という最高倫理」、「西欧思想の言葉を使えば『法の支配』」が現代の価値観であり、現代国際社会の普遍的価値観は第一に「法の支配」である[15]。そして「法」とは「自然法」、「国民の一般意思」であり、世俗的権力を超越する「人智を超えた実在の力」である[16]。だが正義は力で支えられねばならず、「中国思想では『義戦』(中略)、「欧州の国際法学では『正戦』(just war)」、「国連憲章の善悪を峻別する義戦論」に基づく集団安全保障が肯定され、「日本国憲法の善悪を問わない無差別な平和主義」が否定される[17]。このように、「法の支配」と安全保障は一致するものである。 小松長官は谷内正太郎内閣官房参与の外務事務次官時代、国際法局長として集団的自衛権行使の四類型を取りまとめた人物である。小松長官の著書[18]は、「国際社会における『法の支配』」を正面から取り上げ、「社会あるところ、法あり(ubi societas, ibi jus)というローマ法諺は、国際社会にも妥当する」、「『自由』、『民主主義』、『基本的人権の尊重』、『法の支配(rule of law)』等の基本的価値は、(中略)…いまや地域を越えた人類共通の普遍的価値に昇華されつつある」とする。また、「外交における『強いもの勝ち』は許されるものではなく、国際社会を律する法(国際法)に則って公正なものごとの処理が行われるべきである」[19]とし、二国間協議よりも、統一した法秩序の存在を優先すべきだとの認識が強まっていることを指摘する[20]。また国際法秩序における「むきだしの力」の優越を否定する一方で[21]、その維持にはやはり力が必要だとしている[22]。その他、以前、日本に研究者が乏しかった戦時国際法にも詳細に言及しているのは、近年の国際法学者としては異例に属していよう。一方、谷内内閣官房参与には目立った著作はないものの、日米両国が「普遍的価値を共有」しており、同盟の強化が平和に繋がる、との立場は明確である[23]。 […]